攻めの経営判断と個人リスクを両立させる方法
この記事のポイント
経営判断を間違えたら個人で賠償というリスクにどう向き合うか。D&O保険の専門家が、攻めの経営判断と役員個人のリスク軽減を両立させる方法を解説します。リスクを避けるのではなく適切に管理する考え方が鍵です
「判断するのが仕事なのに、間違えたら個人で賠償」。この非対称なリスクは、すべての経営者が向き合わなければならない現実です。しかし、リスクを恐れて判断を避けることは、経営者としての責任を果たしていないことと同じです。

経営者のジレンマ:判断するのが仕事なのに
経営者にとって、意思決定は最も重要な仕事です。新規事業への投資、M&Aの実行、取引先の選定、事業の縮小や撤退、人員の配置変更。これらの判断一つひとつが会社の運命を左右します。判断を下すこと、それが経営者の本質的な役割です。
しかし、経営判断には常にリスクが伴います。判断が成功しても、その利益は会社のものです。一方で判断が失敗した場合、会社に損害が発生するだけでなく、役員個人が善管注意義務違反として損害賠償を請求される可能性があります。
成功の果実は会社に帰属し、失敗のリスクは個人が負う。この非対称な構造が、経営者のジレンマです。経営判断で訴えられる実態については経営判断の失敗で役員が訴えられる頻度と実態で詳しく解説しています。
多くの経営者がこのリスクの存在を知ったとき、最初に考えるのは「では、リスクの高い判断はやめよう」ということかもしれません。しかし、これは正しいアプローチではありません。リスクを避けるということは、成長機会を逃すということです。攻めた判断を避け続ける経営者の下で、会社が成長することはありません。

攻めた経営判断をしても、会社が儲かるだけ。でも失敗すると個人に賠償がくる。これって不公平ではないですか?
この非対称性は確かに存在します。しかし、だからこそ「リスクを避ける」のではなく「リスクを適切に管理する」という発想が重要になります。D&O保険の専門家は、この点について明確なメッセージを発しています。
リスクを避けるのではなく適切に管理する
D&O保険の専門家が一貫して強調するのは、「リスクを避けるのではなく、適切に管理する」という考え方です。
この言葉に含まれるポイントは3つあります。
- リスクを「避ける」のではなく「管理する」という発想の転換
- プロセスの記録とD&O保険の両方でリスクを軽減する
- 目的は「攻めの判断を可能にすること」であり「リスクを避けること」ではない
経営者がリスクを恐れて保守的な判断ばかり繰り返すことは、短期的には安全に見えるかもしれません。しかし長期的には、成長機会を逃し続けることで会社の価値を毀損してしまう危険性があります。競合が新しい事業に投資し、市場を開拓していく中で、リスクを恐れて動かない会社は取り残されます。
リスクは避けるものではなく、管理するものです。そして適切にリスクを管理すれば、攻めた判断であっても個人の責任を問われる可能性は大幅に低くなります。
攻めの経営判断を支える2つの柱
攻めの経営判断と個人リスクの軽減を両立させるために必要なのは、以下の2つの柱です。この2つを組み合わせることで、経営者は安心して意思決定に集中できる環境を手に入れることができます。
柱1. 合理的な意思決定プロセスの構築
経営判断で個人責任を問われるのは、判断の「結果」ではなく「プロセス」に問題があった場合です。逆に言えば、合理的なプロセスを経ていれば、結果的に失敗しても責任を免れることができます。
合理的な意思決定プロセスの具体的な内容は以下の通りです。
- 判断に必要な情報を幅広く収集し、十分な事前調査を行う
- 外部の専門家(弁護士、会計士など)の助言を求める
- 取締役会や経営会議で議論を尽くし、反対意見も含めて検討する
- 判断の根拠、議論の内容、決議結果を議事録として保存する
- リスクが顕在化した場合の対応策をあらかじめ検討する
これらのプロセスを「面倒だ」と感じるかもしれません。しかし、これらは同時に判断の質を高めるプロセスでもあります。十分な情報収集と多角的な検討を経た判断は、直感だけに頼った判断よりも成功の確率が高くなります。善管注意義務違反の判断基準については善管注意義務違反の境界線を専門家が解説で詳しく解説しています。

プロセスを踏むのに時間がかかって、スピード感のある判断ができなくなりませんか?
確かにプロセスには時間がかかります。しかし、すべての判断に同じレベルのプロセスが必要なわけではありません。判断の重要度やリスクの大きさに応じて、プロセスの深さを調整すれば、スピードと慎重さのバランスを取ることができます。
日常的な業務判断にまで取締役会の決議を求める必要はありません。しかし、M&Aの実行、大型投資の決定、重要な取引先との契約など、会社の将来に大きな影響を与える判断については、十分なプロセスを踏むことが重要です。このメリハリが重要です。
柱2. D&O保険による経済的リスクの軽減
合理的なプロセスを踏んでいても、訴訟を起こされること自体は防げません。そして、訴訟に巻き込まれれば、勝訴しても弁護士費用は自己負担です。この経済的リスクをカバーするのがD&O保険(会社役員賠償責任保険)です。
D&O保険は、以下の費用をカバーします。
- 役員個人が負担する損害賠償金
- 弁護士費用、訴訟費用などの争訟費用
- 会社が役員に補償した費用の填補
非上場の中小企業であれば年間数十万円程度から加入できます。補償額は1億円から5億円が一般的で、企業規模に応じてそれ以上の設定も可能です。数億円の賠償リスクに対して年間数十万円の保険料は、攻めの経営判断を可能にするための合理的な投資です。
保険料は会社が負担するのが一般的で、会社の経費として処理できます。役員個人の出費が増えるわけではありません。
なぜ今、リスク管理の意識が重要なのか
「うちは訴えられることなんてない」と考えている経営者も少なくありません。しかし、役員個人への訴訟リスクは年々高まっています。その背景にある社会変化を理解しておくことが重要です。
情報化社会による権利意識の向上
インターネットやSNSの普及により、「役員個人も訴えられる」という知識が広く共有されるようになりました。これまで泣き寝入りしていた株主や従業員、取引先が、弁護士に相談し訴訟に踏み切るケースが増えています。
退職代行サービスからの訴訟リスク
近年急増しているのが、退職代行サービスを通じた訴訟のリスクです。従業員が退職代行に相談した際に、ハラスメントや未払い残業の問題が弁護士に共有され、そこから訴訟に発展するケースが増えています。
二重訴訟のリスク
会社と役員個人が同時に訴えられる「二重訴訟」も珍しくなくなっています。会社の資産を狙った訴訟と、役員個人の資産を狙った訴訟が同時に行われるため、個人で対応するには負担が大きすぎます。
会社には会社の資産を狙って訴訟し、役員には役員個人の資産を狙って訴訟するという二重の構造は、特に経営者にとって大きな脅威です。会社が賠償金を支払っても、それとは別に個人としての賠償も求められる可能性があるからです。
コーポレートガバナンスの強化
コーポレートガバナンス・コードの浸透により、役員の個人責任に対する意識が高まっています。社外取締役がD&O保険のない会社への就任を断るケースも増えており、D&O保険は優秀な人材を確保するための必須条件になりつつあります。
攻めの経営判断を実践するための行動指針
攻めの経営判断と個人リスクの軽減を両立するための具体的な行動指針を整理します。これらは特別なことではなく、日々の経営の中で実践できるものです。
1. 重要な判断の前に「3つの確認」を行う
重要な経営判断を行う前に、以下の3つを確認する習慣をつけましょう。
- 十分な事前調査を行ったか
- 必要に応じて専門家の助言を求めたか
- 取締役会や経営陣で十分な議論を行ったか
この3つの確認は数分で完了するものです。しかし、この確認を怠ったことが将来の訴訟の原因になる可能性があります。特に大きなお金が動く判断や、会社の方向性を大きく変える判断の前には、必ずこの確認を行いましょう。
2. 判断のプロセスを必ず記録する
判断の根拠、議論の内容、決議結果を議事録や記録として保存しましょう。「記録を残す」という一手間が、将来の自分を守る最大の防御手段になります。
記録を残す文化を社内に根付かせることが理想ですが、まずは経営者自身が率先して記録を残す姿勢を見せることが大切です。記録のフォーマットを統一しておくと、記録漏れを防ぎやすくなります。具体的な意思決定プロセスの構築方法は経営判断で責任を問われないための意思決定プロセスを参考にしてください。
3. D&O保険に加入する
プロセスの記録は訴訟で有利に戦うための手段ですが、訴訟そのものを防ぐことはできません。D&O保険に加入して、万が一の経済的リスクに備えましょう。
| 備えの種類 | 効果 |
|---|---|
| プロセスの記録 | 訴訟で合理的な判断であったことを証明 |
| D&O保険 | 損害賠償金と弁護士費用をカバー |
この2つの備えを持つことで、「攻めの判断をしても、万が一の場合に備えがある」という安心感が生まれ、本来取るべき意思決定に集中できるようになります。
4. 問題を放置しない
経営上のリスクや問題を認識した場合は、速やかに対応しましょう。リスクを認識していたのに放置したという事実は、善管注意義務違反の有力な根拠になります。
特にハラスメント問題、取引先の信用状態の悪化、コンプライアンス上の問題など、放置すると拡大するリスクについては、早期の対応が不可欠です。問題が小さいうちに対処すれば、損害も訴訟リスクも最小限に抑えることができます。
5. 定期的にリスクを見直す
一度リスク管理の体制を構築したら終わりではありません。事業環境の変化、法制度の改正、社会情勢の変化に応じて、リスクの見直しを定期的に行いましょう。D&O保険の補償内容も、会社の成長や事業環境の変化に合わせて見直すことが推奨されます。
D&O保険は「守り」ではなく「攻め」のための保険
D&O保険は「訴えられた時のための保険」と捉えられがちですが、本質的には「攻めの経営判断を可能にするための保険」です。
役員個人のリスクが軽減されることで、以下のような変化が期待できます。
- 新規事業への積極的な投資判断ができるようになる
- M&Aなど大きなリスクを伴う判断にも前向きに取り組める
- 社外取締役の招聘がスムーズになる
- 経営陣全体が訴訟リスクへの過度な不安から解放される
- 本来取るべき意思決定に集中できる環境が整う
社外取締役の招聘を検討している企業にとっては、D&O保険への加入は実質的に必須です。D&O保険のない会社への就任を断る社外取締役候補は実際に増えています。社外取締役特有のリスクについては社外取締役の就任前に知るべきリスクと備えで解説しています。優秀な人材を確保し、多角的な視点で経営判断を行うためにも、D&O保険は重要な役割を果たします。
経営者が「判断を間違えたら個人で賠償する」というリスクに怯えながら経営するのと、「合理的なプロセスを踏み、万が一の場合はD&O保険がある」という安心感を持って経営するのでは、判断の質もスピードも大きく変わります。

D&O保険に加入していない企業が多いのはなぜですか?
D&O保険の専門家によると、そもそもD&O保険の存在を知らない経営者が大多数です。「うちは大丈夫」「訴えられることはない」と考えている方が多いのが実情です。しかし、上場・非上場に関わらず、役員個人にリスクがあるという点は変わりません。D&O保険の専門家は、すべてのお客さまにD&O保険を案内しているとのことです。まずは存在を知ること、そして専門家に自社のリスクを相談してみることが第一歩です。
リスクと向き合い、本来の仕事に集中する
経営者の本来の仕事は、意思決定です。会社の成長のために必要な判断を下し、その結果に責任を持つことが経営者の役割です。
しかし、個人としての訴訟リスクに怯えながらでは、本来の仕事に集中することはできません。リスクを恐れて判断を先延ばしにしたり、保守的な選択肢ばかりを選んだりすることは、経営者としての責任を果たしていないことと同じです。
リスクと向き合い、適切に管理し、本来の仕事である意思決定に集中する。そのためのツールが、合理的な意思決定プロセスとD&O保険です。D&O保険で経営者を守る仕組みについては中小企業の経営者が自分の身を守る方法もあわせてお読みください。
この記事のまとめ
- 経営判断の成功は会社に帰属し、失敗のリスクは個人が負うという非対称な構造がある
- リスクを「避ける」のではなく「適切に管理する」という発想の転換が重要
- 合理的な意思決定プロセスの記録とD&O保険の2つの柱でリスクを管理する
- D&O保険は守りではなく攻めの経営判断を可能にするための仕組み
経営判断を間違えたら必ず個人で賠償しなければなりませんか?
合理的なプロセスを経た上での判断であれば、結果的に失敗しても個人の賠償責任を問われる可能性は低くなります。判断に至るまでの事前調査、議論、記録の保存が重要です。
D&O保険に入れば攻めた経営判断ができるようになりますか?
D&O保険は万が一訴えられた場合の経済的リスクをカバーします。経済的な不安を軽減することで、本来取るべき意思決定に集中できる環境が整います。ただし、合理的なプロセスを踏むことも同時に重要です。
役員個人のリスクを軽減する方法は何ですか?
意思決定プロセスの記録を残すこと、事前に十分な調査を行うこと、専門家の助言を求めること、そしてD&O保険に加入して万が一の経済的リスクに備えることの4つが有効です。
攻めた経営判断と慎重さは両立しますか?
十分な事前調査と合理的なプロセスを経た上でリスクを取る判断をすることは、善管注意義務の観点からも問題ありません。むしろ、リスクを恐れて成長機会を逃し続けることのほうが、会社にとっては大きなリスクになり得ます。
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